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10年を前にして。

この記事はペン回し Advent Calendar 2017に参加しています。



2017年 12月4日 21:48。ベッドに入る。
最近夜更かしが続いていたので、半強制的にリズムを元に戻そう。

フランスに来てから3か月が経った。
2か月が経った頃に、FPSBメンバーと会った。
そこから1か月の間、自分の中の、ペン回しに対する「熱」のようなものが、ジリジリと温度を上げていった。
こっちに来てから聴きだしたSCANDALの音楽が常に脳内プレイリストから外れることのなかった2か月だったが、それらはここ最近、姿を見せない。今脳裏に浮かぶのは、クリスマスにふさわしい、イルミネーションのような「JapEn 3rd」のタイトルロゴ。ハードロックなBGM。
流石に寝るには早すぎたかとiPhoneのスリープを解除し、YouTubeのアプリを開く。スムーズに「japen3rd」と検索欄に打ち込む。出た。SAIZEN氏が写るサムネイル。

これが間違いだった。



そこからJapEnシリーズを最新作まで辿る。1stと2ndは昨日観たから今日はいい。
3rd、4th、5thと、FSから音楽まで、脳内で浮かぶ映像通りだ。当時穴があくほど観ていただけはある。


私は自分が出たCVの編集後記や、感想を読むのが好きだ。なぜかって?褒められているところを見たいから。
まあその思惑に反して基本的には触れられることすら無い記事が多いのだが。
そこでふと、JapEnに対するスピナーたちの感想ってあまり読んだことが無いことに気付いた。
6th以降は正直言ってハッキリとした記憶がない。JapEnだけでなく、自分の活動の記憶も、だ。
そんな私の「空白」を埋めるべく、Googleで「JapEn 感想」を検索する。
手当たり次第に、順番関係なく、様々なブログを読み進める。そのうち、2016年のAdvent Calendarに行き着いた。読む。
先日投稿したオフレポにも書いたが、猛烈に自分の「空白」を後悔した。
居てもたってもいられず、枕元にある部屋の電気のスイッチをつける。床に落ちているKTを拾う。
ノートパソコンを開く。まずはウォーミングアップにyoutubeだ。2,3本見る。
…よし。「kazuの回し場」開設当時から変えていないブログタイトル。ネーミングセンス皆無、上等。

ペン回し Advent Calendar 2017 に、登録…。




私がペン回しの活動を始めたのは2008年の2月。
正確にはその前年の11月ほどであったと思うが、「活動」という意味では2008年が正しい。
単純にペンを回し始めた期間はすでに10年と1か月を記録する。活動面ではあと2か月だ。
2008年2月3日に新JEBが立ち上がったと記憶している。私は遅れて2月10日に登録した。大学の友達の誕生日は忘れても、こういう日は覚えているのだから不思議なものだ。
小学校のクラスの友達からフェイクトソニックとソニックを教わり、そこからペン回しにのめり込んだ。資料室の技解説を、当時PCを自由に触れる環境にいなかった私は、PSPのブラウザを駆使して視聴し、何度も何度も練習した。せっかくのクリスマス限定カラーのPSP-2000を、落としたペンで傷だらけにしながら。
初めての改造ペンは楽ボJELL。RSVPはちょうどLoftに売られ始めた時期だった気がする。ので、海外ペンを当時にしてはスムーズに手に入れることができた。
ペンたちの集会所、ペン回し資料室は毎日欠かさず観ていた。毎日のようにペンの改造を行った。ペン回し博物館も、もちろん「私のペン回しの歴史」も、だ。
PSTJが開催したのもこの年だった。協会限定のRSVPも実は手に入れていた。大会へは行くことができなかったが、大会を特集した番組がyoutubeに上がっていると片っ端からダウンロードし、毎日見ていた。あの当時、スピナーの顔を見るというのは大事件だったのだ。

当時の私はとにかく加減を知らなかった。
その頃から夜更かしの癖がついたんだと思う。毎晩練習をしていた。両親が仕事から帰ってこないとPCを触らせてもらえなかったので、撮影なども全て夜だった。詳しく言えば、撮影自体は持っていたキッズケータイで行っていたが、それを移してまともな動画形式にする作業は夜にしかできなかった。結局微妙だと思えばまたそこで撮影。といった具合に。
さて、ここで黒歴史を覗いてみることにする。
加減を知らない私はとにかく精力的に「活動」していた。CVに出たかったから、自分でCVを量産した。1年に5本作り、さらにそのリメイクを次の年に作ったりした。「SPSL」「WLPS」などアルファベット4文字に憧れて、「KCVP」なんて作っちゃったりした。即席も一丁前に作った。「kazu 3.5」は知る人ぞ知る事件作である。
何が悪いかなんて何も分からなかった。こんな活動をしまくっている自分がしたらばで叩かれているのを見つけたら、一生懸命反論した。よくもまあ相手をしてくれたもんだと、今なら思える。

それでも私には仲間がいた。
しかし少し特殊で、この時期全くへこたれずに生き続けていたのは学校の友達の存在が大きい。
私に教えてくれた友達には、私以外にもたくさんの子が群がっていた。みんなで苦心してソニックを練習し、先に習得した者から教わるようにして、クラスのほとんどがペン回しに熱中していた。(女子でさえも。)
そんな中で私が新たな旋風を巻き起こしたわけである。
ノーマル、45-34ソニック。「フルーエントソニック」なんて名前を出したらたちまち流行語となった。ペンを改造するという概念も持ち込み、クラス中改造ペンで溢れかえっていた。
私は現実世界の、クラスメイトの間でペン回しコミュニティを形成し、活躍していたのである。
そんな私はしたらばなんて怖くない(そもそも何が悪いのか理解できていなかったが)。

順調に時は過ぎ、中学へ進学した。
先述したリメイクCVなどは2009年だからこの時期に当たるのだが、この際細かい時系列は気にしない。
今のうちに言っておく。友達作りはどの時期もすべて「ペン回し」でなんとかした。
入学初日、スピナーがいるかもしれないという淡い期待を抱きながら改造ペンを持ち込んだ。期待は儚く散った。
小学校の時にともにペンを回した仲間たちは完全に飽き、それぞれ部活動に打ち込むなどしていたが、私は吹奏楽部という文化系代表に所属していたためか、ペン回しへの熱は薄れることがなかった。
それどころか、さらに高まることとなる。

中学の学園祭にはいわゆる「かくし芸大会」的なイベントが存在した。基本的には学祭バンドを組んで演奏する、という子が多かったが、本当にかくし芸のような出し物をする子もいた。山手線の駅名暗唱やマジック、ウルトラマンの寸劇などという面々に混じって私は堂々とペン回しでエントリーした。
発表する舞台は体育館のステージと決まっている。バンドがトリを務めるイベントであるから、それは当然だ。
大きなステージになることは予想していた。しかし、大道芸のような同じ目線という環境ではない。路上であればある程度近付いて見ることができるが、体育館のステージは違う。観客は椅子に座るか同じ距離で立って見る。となると、細かい動きでは勝負できない。
発表方法を、すぐさまPSN4thのps-728氏の形式に決定した。
音楽は、Saz'ect無印のBGM。
そこから校内での練習の日々が続いた。日に日に私の知名度(良いか悪いかは知らない)は上昇し、ついに学園祭当日となった。
大きな失敗もなく、学園祭全体としても成功をおさめた。
最終日の閉会式で、この大会の表彰式が行われた。周りから寄せられる期待。自信と不安が入り混じった、後にも先にも経験したことのない気持ちで発表の瞬間を待った。
結果は準グランプリであった。
10団体ほどは出場していたと思う。そこに1年生の私が入賞したことは、ある意味事件のようであった。
そこから(ほぼ)全校生徒に「ペン回しの子」で知られるようになった。今思えば、輝いてたなあ。
次の年、その次の年も出場したが、2年も準グランプリ、3年は入賞圏外だったと思う。

このようにリアルでペン回し、そしてネットでの活動も私のペン回し人生の中でピークだったのが中学時代である。

しかし中学3年になる時、私は人生の転換期を迎える。
まあ単純なもので、「リア充になる」という決意をしただけである。

でもやったことはビッグだった。と思う。
当時ペン回しの活動と同時にハマっていたのはアニメ。それを見るのを一切やめたし、twitterもこの辺でやらなくなったと思う。家で取るコミュニケーションはスピナーではなくリア友(学校にSkypeが普及し始めていた)になった。部活も引退前で気合を入れていた。
ただ今でもよくわからなかったのが、ハロプロにハマったこと、だ。オタクやめてリア充になろうと決意したにも関わらず違う方向で逆戻りしていた気がする。まぁハロプロがきっかけでデートにこぎつけた経験をゲットしたので、結果オーライ。

ここからが本格的に「空白」となる。
高校に入学した途端に部活にのめり込む。CVに動画をちらほら出す程度で、スピナーと絡むということはほぼゼロだったと思う。
今まで右手を癒やしていたペンに代わり、アレやソレを握る回数のほうが多くなった。女の子を求めて彷徨っていた時期もあった。
大学に進学してもそれは同じで、しかも大学ではペンを回さなかった。…正確に言えば、自己紹介に使わなくなった。



そして現在に至る。
こうして書いてみると、最近まで充実していたように錯覚してしまったが、
机に向かう前に思ったことは、ある意味ほぼ全てが「空白」であったのではないか…ということだ。
JapEnの感想を読み漁る中で、普通の記事にも触れた。Skype通話の記事。オフ会の記事。CV批評。解説。
種々雑多、千差万別の形はあったが、それぞれペン回しに対して「考えている」証拠だった。
それに比べ私はどうだ。
始めた当初3,4年までは良いものの、それ以降は携帯片手にほぼ手癖で回し続け、CVに出す動画は「ミラクル」ばかり…。

FPSBの彼らと出会って以降、Twitterの活動を本格的に再開した。動画もアップしてみた。それなりに最近のCVも観た。

しかし私は、「変化」が嫌いである。「成長のための努力」が苦手である。
もう今は、新しい技を習得するための練習をすることが苦で仕方がない。
…趣味の楽器でも同じことが言える。ペン回しも楽器も、10年またはそれ以上という「歴」を盾にして、逃げてきた。
そこまで積み上げてきた「癖」を払拭する勇気が出ない。

どのCVを見ても、近年の技術向上を素直に認めず、「あの頃がよかった。」「技はすごいけど、指の曲げ方がちょっとね。」「環境を整えてからだよね。」という感想を抱くばかり。
懐古厨顔負け。しかもウマコテでもないし、救いようがない自分がいることに気がついた。



と、書いたものの。
実はこのことに気がついたのは何も今回が初めてではない。
人生の色んな場面で、色んな分野で、変化を嫌う自分に出会い、逃げてきた。

本当はこんな弱い自分を公に晒すのは絶対に嫌だ。
しかし、10年を前にして、そうも言っていられないという現実を自分に突きつけることにした。
10年という時を積み上げずして、活躍する人材はごまんといる。彼らが努力を怠らず、好奇心をむき出しにして、自分に正直に、そして他人に自分を曲げられることなくその道を歩んできたからだ。

今の時代、「芸」の世界において「歴」などはもう関係ない。
もちろん、時間はあればあるほど経験となって自分の糧となる。
しかし一番重要視すべきはその「濃さ」だ。

私は素直に負けを認める。「空白」を作ったという事実を、認める。
ここからが新たなスタートである。
才能の限界はまだ先、なんてね。




だいぶ自分勝手な記事で参加させていただきました。すいません
文体はかっこつけました 二度とこんな書き方しません
結局は楽しくペン回しやっていきたいんです。これからもよろしくお願いします。
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